2014年 02月 27日
風化してはいけない |
前回の記事から日が空いてしまいましたが、先週「FPの家グループ」の全国総会で福島県まで行ってきました。
場所は、スパリゾートハワイアンズという大きなホテルで、そこのホールを貸し切って行われました。
会の中では、被災に遭われた福島と宮城のFP工務店の方の話、会場であるスパリゾートハワイアンズの支配人さんの震災当時や、どうやってここまで復旧にもって行ったかなどのお話を聞くことが出来ました。
あの震災で電気や水道のライフラインが寸断され、電話も通じないしTVも映らないといった情報不足の環境のなか、3年が経とうとしています。当時は原発からの放射線漏れなども報道として報じられ、会場のあるいわき市では、ライフラインの寸断、ガソリン不足、情報伝達が出来ない、原発の風評被害による支援物資の遅れなど、3重、4重の苦労があったと聞きます。
だんだんと復興も進んできて、震災の被害自体が風化しつつあるようにも感じますが、まだまだ目を見張る光景が福島には広がっていました。
次の日、バスにていわき市から少し北上した富岡町というところに行きました。ここは原発から近いということもあり帰宅規制区域に指定されている場所でした。
海沿いの富岡駅前
その向かいの津波で被害をうけた家屋
閉店されたコンビニ
つかわれなくなった学校
など、ふだん岐阜で当たり前に生活している僕たちには、目を疑うような光景が広がっていました。
日常当たり前に見るであろう犬の散歩をする主婦や、乳母車をひいたお婆さん、子供たちの通学など、それらの人の姿は全くなく、いるのは除染の作業の方々くらい。
日本の一部分のエリアの土地がこんなになってしまうのが寒気さえ感じる驚きでした。
現在そこに住んでいた方々は県外へ行ってしまった人も多く、また県内でも仮設住宅に住まわれてると聞きます。
岐阜から新幹線でたった4時間の場所でこんな衝撃を受けるなんてと思いました。
被災地を初めて目の当たりにし、こういった場所、被害に遭われた方々をけして忘れてはいけないと強く感じた福島訪問でした。
場所は、スパリゾートハワイアンズという大きなホテルで、そこのホールを貸し切って行われました。
会の中では、被災に遭われた福島と宮城のFP工務店の方の話、会場であるスパリゾートハワイアンズの支配人さんの震災当時や、どうやってここまで復旧にもって行ったかなどのお話を聞くことが出来ました。
あの震災で電気や水道のライフラインが寸断され、電話も通じないしTVも映らないといった情報不足の環境のなか、3年が経とうとしています。当時は原発からの放射線漏れなども報道として報じられ、会場のあるいわき市では、ライフラインの寸断、ガソリン不足、情報伝達が出来ない、原発の風評被害による支援物資の遅れなど、3重、4重の苦労があったと聞きます。
だんだんと復興も進んできて、震災の被害自体が風化しつつあるようにも感じますが、まだまだ目を見張る光景が福島には広がっていました。
次の日、バスにていわき市から少し北上した富岡町というところに行きました。ここは原発から近いということもあり帰宅規制区域に指定されている場所でした。
海沿いの富岡駅前
その向かいの津波で被害をうけた家屋
閉店されたコンビニ
つかわれなくなった学校
など、ふだん岐阜で当たり前に生活している僕たちには、目を疑うような光景が広がっていました。
日常当たり前に見るであろう犬の散歩をする主婦や、乳母車をひいたお婆さん、子供たちの通学など、それらの人の姿は全くなく、いるのは除染の作業の方々くらい。
日本の一部分のエリアの土地がこんなになってしまうのが寒気さえ感じる驚きでした。
現在そこに住んでいた方々は県外へ行ってしまった人も多く、また県内でも仮設住宅に住まわれてると聞きます。
岐阜から新幹線でたった4時間の場所でこんな衝撃を受けるなんてと思いました。
被災地を初めて目の当たりにし、こういった場所、被害に遭われた方々をけして忘れてはいけないと強く感じた福島訪問でした。
by nomnomu0417
| 2014-02-27 14:40
| ・ヒトリゴト